演フェスには35回出演し、コンクール形式だった初期には3回連続で大賞を受賞して一気に名を広めた。その後も兵庫県でのコンクールで知事賞を受けたり、国スポ(国体)の文化版・国民文化祭に3回出場するなど、着実に実績を積んできた。